花魁の恋愛

19812

花魁の恋愛について

花魁体験カップル

一般に遊女の一生として『年季は苦界(くがい)十年、二十七明け』という決まりがありました。しかし それはあくまでもの話でした。遊女の経歴には、幼い頃に売られて禿(かむろ)として育てられ、その後に客を取るようになる場合と、売られて来てすぐに客を取る場合の二通りがあります。

禿から始まった女は客を取り始めてから十年とされたので、十年をはるかに超えたといいます。華やかに見える花魁の世界ではあったものの、妓楼で生活をする遊女達には様々な出費が強いられていました。結果として、借金を返しきれず年季が明けた後でもなお働かなければならない事も珍しくはなかったといいます。

花魁体験カップル

遊女の一日はとても過酷で、客を迎えてから明け方、客を送り出すまでほとんど外出もせず、一日の大半を客の為に過ごしました。遊女の食事も、売れっ子の遊女でない限りはとても質素であり、遊女は不健康そのものの生活をしていました。

そんな遊女達の恋愛ですが、お互いに想いあっても叶わぬ事の方が多かったといいます。遊女が真に惚れた男のことを情男(いろ)といいます。間夫(まぶ)ともいいました。多くの客を取らなければいけない境遇であった遊女にとって、真の恋愛への憧れがあったそうです。『身体は許しても心は許さない』というのが彼女たちの心情でした。ただ、情男に夢中になり他の客を疎かにするようになると、彼女達は厳しく監視され仲を裂かれるなど恋愛が実際に実ることは少なく、心中に発展することもあったそうです。

語り継がれる有名な花魁の恋愛

吉原において、語り継がれる有名な花魁にはこのような人たちがいました。

【小紫】

江戸吉原の「稲本楼の小紫」はとても美しく、和歌にも長けており、性格も聡明で優しかったといいます。そんな小紫の花魁道中を見かけた平井権八という男は一瞬にして彼女に心惹かれてしまいます。その男にとって小紫に会うのには大変なお金の工面が必要でした。そこで辻斬りを繰り返し、何とか彼女に会うことが叶います。小紫もまた平井権八に心を寄せるようになりました。
ただ平井権八の犯した罪は重く、斬首刑に処せられてしまいます。それを知った小紫は身請けで晴れて自由の身となったにも関わらず彼の墓に向かい、その前で自害したそうです。

【高尾太夫】

彼女もまた絶世の美女として名高い花魁でした。和歌、俳諧に長けており、書は抜群、諸芸にも長けていたといいます。

そんな彼女を見初めた仙台の藩主、伊達綱宗は金銀財産を積み上げて高尾太夫に想いを寄せました。しかし彼女には想い合う人がおり、自分の事は諦めてくれと懇願するとそれに激怒した伊達綱宗は、彼女を船に逆さ吊りにし、切り捨てたそうです。

【八つ橋】

「兵庫屋の八つ橋」として吉原で全盛を誇った花魁で、彼女もまた 絶世の美女とされており、その花魁道中も華やかなものでした。その時代『かごつるべ』と名の付く村正の名刀を持った佐野の豪商 次郎左衛門という男がいました。その男は自分自身の容姿に負い目を持っており、財力はあったものの、自分には縁の無い所 と「色街」に足を運ぶ事はありませんでした。

ところが、たまたま吉原見物にと出かけてみた夜に見かけたのが兵庫屋の八つ橋。一瞬にして八つ橋に見惚れてしまいます。次郎左衛門はその次の日から八つ橋の元に通い詰め、想いは通じて馴染み客となり、身請けの話まで出るようになりました。

しかし、八つ橋にはすでに間夫という男がおり、身請けの話を良く思わない八つ橋の義父と間夫によって次郎左衛門へ愛想尽かしをするように無理強いをされます。その言葉のまま、八つ橋は次郎左衛門を振り、もう会いに来ないようにと伝えます。満座の場で恥をかかされた次郎左衛門は八つ橋を含め義父や間夫ら多くの人を斬殺し「吉原百人斬り事件」と言われその事件は歌舞伎の演目にもなっています。

【春駒】

19歳の時に父親の借金のかたに廓に売られた遊女。「春駒日記」という当時の遊女の廓での生活の日々を書き綴った書を出版したことで有名。彼女のこの日記によって、世には知られず葬られがちであった吉原での遊女の暮らしの実態を世に知らせるという大きな貢献となりました。彼女自身は出版の手引きをしてくれた男性と結婚したそうです。

現代の様に自由な恋愛も許されず、苦しい生活を強いられていた花魁、表向きは華やかで豪華絢爛といったイメージでしたが、陽の部分が際立つ舞台の裏には悲しい陰の部分が存在することも確かなのでした。

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