八朔の祝い

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八朔(はっさく)とは

八朔

八朔」とは八月朔日(八月一日)を略したもので、早稲の穂が実るこの頃、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったことから「田の実の節句」とも呼ばれています。

元々は神へのお供え物でしたが、「田の実」に「頼み」をかけ、日頃お世話になっている人(頼み合っている人)に恩を感謝する、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになりました。

その風習は全国に広がり、実った早稲の穂を、恩人などに贈っていたそうです。旧暦での8月1日ですので、新暦では8月25日ごろから9月23日ごろまでの日にちで変動します。

京都・花街の八朔

京都・花街においては、8月1日に恩義のある人に贈り物をする風習があり、 芸舞妓さんたちが黒紋付の正装姿で、日頃からお世話になっているお茶屋さんに「おめでとうさんどす。これからもよろしゅうおたの申します。」と挨拶に回る姿が見られます。普段なかなか見る機会のない正装姿はとても貴重で、凜としてとても美しいお姿を見る事が出来ます。

江戸・吉原の八朔

江戸・吉原の遊女たちにも八朔の風習があり、白い小袖を着てお客様を迎えていたそうです。八朔は、徳川家康の江戸入りした日とされることから、江戸時代にはもっとも重んじられていた行事で、この日を祝うために遊女はみな白無垢を着て、「花魁道中」を行いました。

年中行事「八朔」の由来

吉原の年中行事「八朔」の由来は諸説ございますが、それはそれはとても寒い八朔を迎えたある年、夕霧太夫という遊女が白い袷ではなく白い小袖を着たことより、以後、白い小袖を着ることが慣例化したという説があります。のちに、その習慣は広がり、まだまだ暑さが残る残暑のこの時期に白無垢を着るという我慢や見栄が、江戸の『粋』だと言われていたそうです。

✓袷(あわせ)…裏地のある和服のこと。反対語は単衣(ひとえ)。

✓小袖(こそで)…小さいそでの、和服の普段着。

現代にも受け継がれる文化

そして平成29年、なんと京都・島原で「八朔」の行事が30年ぶりに復活致しました。島原は日本最古の花街といわれており、今でも現役でご活躍されている太夫さんが4名いらっしゃいます。2014年に襲名された葵太夫さんは、禿(かむろ)を引きつれ、新調された純白の打掛姿で京の町を練り歩き、古きよき町並みに華を添えました。

✓禿(かむろ)…広義では、頭に髪がないことを言い、肩までで切りそろえた児童期の髪型、あるいはその髪型をした子供を指す。狭義では、江戸時代の遊郭に住む童女をさす。

歴史や文化を重んじ、守り、継承する古都京都。こういった歴史や風習、文化も今は知らない方の方が多いかもしれませんが、日本の素晴らしい風習を、私たちの手で守り、伝えていく事がとても大切だと感じます。皆さまも是非、古き良き時代を感じながら八朔を祝い、白い衣装を着て、豪華で粋な花魁体験を味わってみませんか。

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