江戸時代、幕府公認の色町としてさかえた吉原でしたが『首から上が家一軒』ともいわれるほどの豪華な髪の装飾もさることながら、やはり注目したいのは浮世絵や錦絵にも描かれた豪華絢爛たる遊女の装いではないでしょうか。
ハレの衣装とケの衣装
遊女が仲の町を「花魁道中」する時、あるいは客に呼ばれて仲の町の引手茶屋に向かうとき豪勢に飾り立てますが、それをいわゆるハレの衣装といい、客がおらず妓楼にいる時はケの衣装を着ていたといいます。
ハレ(晴れ、霽れ)…儀礼や祭り、年中行事などの「非日常」
ケ(褻)…普段の生活である「日常」
ハレ着としての打掛
遊女たちの衣装は時代を追うごとに華やかに、豪華になっていきました。特に目を惹く『打掛』は江戸時代を通して高級遊女のみに許された衣装で下級遊女は羽織る事は出来ませんでした。打掛の特徴としては高位の証である緞子(どんす)や金襴(きんらん)の高価なものでした。
- 緞子…布面が柔らかく光沢があり、重厚感のある絹の紋織物
- 金襴…緯糸(よこいと)に金糸を用いて模様を織り出した紋織物
そして裾には綿を詰めて厚みを出した『ふき』を作ります。打掛の『ふき』は、裾まわりに厚みのある部分を作ることで引きずって歩く時に足に衣装がまとわりつくのを防止する役目がありました。
また、『ふき』を特に厚く作ることで実際よりも身長を高くスラっとみせる効果があったそうです。もともと着物には袖と裾に『ふき』がありますが、それにはちゃんと意味が存在します。表地の生地の汚れや擦り切れを防ぐためのものであり、擦り切れたら直せるように考えた作りになっています。着物とは基本的に仕立て変えることを前提に作られているのです。
花魁道中での足元
吉原の遊女は冬でも足袋を履かない風習がありました。白い素足を見せるのが粋であり、寒い冬でも足袋を履くことは野暮であるとされていたそうです。
実際、野外撮影で使うときの下駄は黒塗りの高下駄を使用しますが、やはり素足に高下駄の方が足元が際立って美しく見えるような気がします。ここにも、花魁達のいかに自分を美しく見せるかのこだわりがみられます。
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